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境内紹介

​富士遙拝所

宝暦8年(1758)の建立。当時普及を見た富士信仰・講の記念の一つです。

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日本大工祖神の碑

大工祖神は麁香様(あらかさま)のこと。本碑は鹿香神社に寄せる職方信仰の象徴です。安政4年(1857)真先稲荷5回目の開帳の年に建立。

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江戸神社

ご祭神は、天照大神の弟神、素戔雄尊(すさのおのみこと)、もとは天文年間(1532~1554)に、江戸太郎重長が勧請申した牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)で、橋場の地の鎮守様、後、江戸神社と称しました。

北野神社

ご祭神は、菅原道真公、明和4年(1767)6月5日、菅公の末孫27代目の高辻大納言の勧請によるものです。吉原の代表行事「にわか」踊りは、当社に由来する梅祭りが基といわれます。

妙義八幡神社

ご祭神は、日本武尊(やまとたけるのみこと)と誉田別命(ほんだわけのみこと:応神天皇のこと)の二柱、鎮座年代不詳。

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白狐祠

江戸後期、招来稲荷社繁栄の頃の狐に関する伝えは、この祠にちなむものです。

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寿老神(じゅろうじん)

昭和52年(1977)、浅草七福神の復活に際し、延命長寿の神として奉安されたものです。

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香神社(あらかじんじゃ)

ご祭神は、手置帆負命(たおきほおいのみこと)・彦狭知命(ひこさしりのみこと)の二柱、家室(いえむろ:家屋敷)の土台の守り神、さらには木匠の始祖として、安永8年(1779)の8月8日鎮座されました。いわば、家づくり、ものづくりの神様です。
職方、職人のためのご祭神は、他に類例の少ないところから、江戸末期以来大いに近隣諸職の信仰と人気を呼びました。

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招来稲荷神社(おいでいなりじんじゃ)

ご祭神は、豊受姫神、真先稲荷の奥宮としてまつられました。

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真崎稲荷神社

ご祭神は、豊受姫神(とようけひめのかみ)、天文年間に石浜城城主となった千葉之介守胤が、ここに一族一党の隆昌を祈って宮柱を築き、先祖伝来の武運守護の、尊い宝珠を奉納安置申して以来、真先かける武功という意味にちなみ、真先稲荷として世に知られました。
大正15年(1926)、石浜神社に併合されました。

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亀田鵬斎詩碑

第二鳥居をくぐり参道拝殿寄りの左手にあります。碑面には、江戸は下町の名物儒学者鵬斎73歳の折の作、隅田川の詩2首が刻まれています。石浜城や頼朝、道灌の歴史のあとを切々と偲ぶ名詩です。

作者は、宝暦2年(1752)神田の生まれ、博識多才、書画に秀でた江戸後期異色の文人墨客で、浅草周辺、当社付近の隅田川とその岸の詩情を限りなく愛した人。墓碑は今戸の称福寺境内にあります。

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庚申塚

富士遙拝所脇に3塔あり、いずれも元禄の前後、江戸の庚申塔ブームに近い頃の塚です。

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都鳥歌碑

“名にし負はば いさこととはん 都鳥
わが思ふ人は ありやなしやと”

正面には、平安初期の名門貴族、漂泊の歌人業平(なりひら)が京の都を捨て、はるばる大川のほとりに流れ来て、川面(かわも)の都鳥を目にした時の望郷の思いを綴ったという『伊勢物語、東下り』の一節が記されています。建立は文化2年(1805)です。

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大鳥居

第一鳥居(参道入口手前)は、安永8年(1780)、麁香様の開帳の年に建立。笠木(横柱の上部のもの)のカマボコ型様式は、神明造りには珍しいものです。
第二鳥居(参道の奥)は、寛延2年(1749)の建立。柱に刻まれている山川、高木は橋場の名主の名。様式で額束(がくづか:横柱の中央にある短い支柱)のある型は、神明造りでは珍しいとされます。

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